ご案内

11月23日(祝日・土曜日)午後から『こども神輿・餅つき大会』を開催いたします。5歳から12歳のこども60名(先着順)を募集中です。参加料は不要です。申し込みは、社務所または氏子総代まで。

10月26日、11月9日・30日、12月14日の各土曜日の午後1時から子供将棋教室を開催いたします。多くの皆様の参加をお待ちしております。予約・料金は不要です。

ご案内

『七五三詣り』

11月15日(金) 10:30 11:00 11:30
の予約制です。

 七五三とは、7歳、5歳、3歳の子どもの成長を祝う日本の年中行事で、氏神様などで「七五三詣り」を行い、ご報告・感謝・祈願を行う奉告祭です。 幼児の成長期における重要な儀礼の一つで、一般に男児は3歳と5歳,女児は3歳と7歳で行います。

 11月15日に七五三のお祝いをするようになったのは、徳川家光が自身の子供である、後の徳川綱吉の健康のお祈りをした日にちが関係しているようです。 お祈りをしてもらった綱吉はその後、元気に育ったことから、この日にちを七五三をお祝いする日として定められたとのことです。 現代のように、医療が発達していなかった時代では幼い子の死亡率がとても高く、「7歳までは神の子」と言われていました。 このことからも分かるように、当時は7歳まで元気に成長することが当たり前ではありませんでした。言葉を理解し始める3歳頃から乳歯の生えかわりがある7歳頃までは、成長に伴って、特に病気になりやすい年齢であると考えられていたため、子供の健やかな成長をお祈りするための行事として七五三の儀式がおこなわれていたのです。七五三は、子供が無事に育っていることへの感謝を伝え、また、これからの成長を願う意味があると言えるでしょう。

年齢につきましては、数え年でも満年齢でもどちらでも良いこととなっています。

ご案内

『新嘗祭』

11月23日(土・祝日) 午前10時より

 新嘗祭とは、 新穀を神様に捧げ、その年の収穫に感謝する儀式です。「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくことを意味し、収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄をお祈りします。昔は、穀物を献納し、神様に新米を供えて初めて、人も新米を食べることができたのです。 今でも、皇室では、宮中祭祀の中の最も重要なものとされており、天皇陛下が、神嘉殿(しんかでん)において新穀を皇祖はじめ神々に供え、神恩を感謝された後、陛下自らも召し上がる儀式が執り行われています。 明治6年に、農作物の収穫を祝うために祝日が設けられたのが「勤労感謝の日」の起こりです。1948年(昭和23年)に「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」として制定され、農作物に限らずすべての生産を祝い勤労をねぎらう祝日になりました 。

ご案内

主な行事予定


<令和6年>

七 五 三 詣り 11月15日(金) 予約制 午前10時30分から

新 嘗 祭  11月23日(土・祝日) 午前10時から

年越大祓神事 12月28日(土) 午後1時から30分位

<令和7年>

歳 旦 祭  1月 1日(水・祝日) 午前8時から

節 分 祭  2月 2日(日) 午後1時から4時まで

建 国 祭  2月11日(火・祝日) 午前9時30分から

厄 除 祭  2月11日(火・祝日) 午前10時30分から

祈 年 祭  2月17日(月) 午前10時から

天皇誕生祭 2月23日(日・祝日) 午前10時から

夏越大祓神事 6月30日(月) 午後5時から30分位

茅輪・赤丸神事 7月30日(水) 午後5時から7時まで 

大祭前夜祭  10月15日(水) 午後5時から7時まで 
例 大 祭  10月16日(木) 午前10時から

ご案内

ご 報 告


令和6年 10月16日、例大祭を執り行いました。前夜祭も盛況でした。

令和6年7月30日、17時から、茅輪・赤丸神事を執り行いました。夜店も盛況で、熱中症などの体調不良の方もなく無事に終了いたしました。

令和6年7月30日、16時から、須佐之男社祭を執り行いました。

令和6年6月30日、夏越(なごし)大祓神事を予定どおり執り行いました。

令和6年2月17日、祈年祭を執り行いました。

令和6年2月11日、建国祭と厄除祭を執り行いました。

令和6年2月3日、節分祭を執り行いました。今年も赤鬼がいました。 なお、来年は 2月2日になります。

令和6年1月1日、歳旦祭を執り行いました。

令和5年11月23日、新嘗祭を、通常通りに執り行いました。

令和5年 10月16日、例大祭を執り行いました。前夜祭も大盛況でした。

令和5年 10月 1 日、金刀比羅神社祭を執り行いました。

令和5年 9月 15 日、八幡神社祭並びに秋分祭を執り行いました。

令和5年8月上旬、夏休み将棋教室を延べ6日間 開催いたしました。

令和5年7月30日、17時から、茅輪・赤丸神事を執り行いました。1,000人超の方の参拝があり大盛況でした。

令和5年7月30日16時から、須佐之男社祭を執り行いました。

令和5年6月30日、夏越(なごし)大祓神事は雨天のため、集会室に結界を設けて予定どおり執り行いました。

令和5年2月17日、祈年祭を執り行いました。

令和5年2月11日、建国祭と厄除祭を執り行いました。

令和5年2月3日、節分祭を執り行いました。赤鬼がいました。

令和5年1月1日、歳旦祭を執り行いました。

令和4年12月28日、年越大祓神事を執り行いました。なお、大太鼓及び新テントの奉納神事もありました。

令和4年11月23日、新嘗祭は本降りの雨となりましたが、通常通りに執り行うことが出来ました。

令和4年 10月16日、例大祭神事を通常通り執り行いました。前夜祭も大盛況でした。

令和4年7月30日、須佐之男社祭及び茅輪・赤丸神事を執り行いました。なお3年ぶりにゲームの夜店出店をしました。

令和4年6月30日、夏越(なごし)大祓神事は、梅雨明けと発表され、全国的に猛暑な中、皆様方のご協力により無事執り行うことが出来ました。 有難うございました。その後、雨天続きと大雨がありました。

令和4年3月15日、天神社祭を氏子総代全員により執り行いました。

令和4年2月23日、天皇誕生祭を一部の氏子総代のみにより執り行いました。

令和4年2月17日、祈年祭もコロナウイルスの感染拡大により、一部の氏子総代のみにより執いました。

令和4年2月11日、昨年同様、建国祭を一部の氏子総代のみにより執り行い、厄除祭は中止にいたしました。

令和4年1月15日以後の月次祭は、オミクロン株によるコロナウイルスの感染が急拡大しているため、再度、少人数の氏子総代により参詣することになりました。

令和4年1月1日、歳旦祭を執り行いました。

令和3年12月28日、年越大祓神事を執り行いました。

令和3年11月23日、新嘗祭は、本年も氏子総代のみによる簡素化した形式により執り行いました。

令和3年 11月1日、コロナウイルスの感染が縮小していますので、本日の月次祭から通常通り氏子総代全員で執り行うことになりました。
なお、山神社祭も執り行いました。

令和3年 10月16日、例大祭神事は、本年も氏子総代のみによる簡素化した形式により執り行い、前夜祭も中止にいたしました。

令和3年 10月 1 日、金刀比羅神社祭を執り行いました。

令和3年 9月 15 日、八幡神社祭並びに秋分祭を執り行いました。

令和3年7月30日、須佐之男社祭及び茅輪・赤丸神事を執り行いました。夜店の出店はコロナウイルス感染防止のため今回も中止にしました。積乱雲が発生していましたが雨には なりませんでした。 

令和3年 7月 1 日、湊川神社祭を執り行いました。

令和3年6月30日、夏越(なごし)大祓神事は、雷雨もあり天候が不安定な一日でありましたが、幸いにも雨の合間に無事執り行うことが出来ました。

令和3年4月以降の月次祭は当分の間、氏子総代を2班に分け、それぞれが1日または15日に参詣することになりました。

令和3年2月23日、天皇誕生祭を一部の氏子総代のみにより執り行いました。

令和3年2月17日、祈年祭を一部の氏子総代のみにより執いました。

令和3年2月11日、建国祭を一部の氏子総代のみにより執り行い、厄除祭は中止にいたしました。

令和3年2月1日及び15日の月次祭は、宮司と一部の氏子総代のみにより執り行うことになりました。

令和3年2月2日の節分祭および2月11日の厄除祭は、コロナウイルス感染防止のため中止にいたしました。

令和3年1月1日、歳旦祭を執り行いました。